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大阪高等裁判所 昭和30年(ネ)1095号 判決 1958年12月10日

第一、〇七一号事件控訴人 第一、〇九五号事件被控訴人(原告) 佐竹千代子

第一、〇九五号事件控訴人 第一、〇七一号事件被控訴人(被告) 西成税務署長

原審 大阪地方昭和二五年(行)第三二号(例集六巻八号214参照)

主文

本件控訴はいづれもこれを棄却する。

控訴費用は各控訴人の負担とする。

事実

第一審原告(第一〇七一号事件控訴人 第一〇九五号事件被控訴人以下単に第一審原告と称する)訴訟代理人は「原判決中第一審原告敗訴部分を取消す。第一審被告(第一〇九五号事件控訴人 第一〇七一号事件被控訴人以下単に第一審被告と称する)が第一審原告に対してした昭和二四年度の所得金額を七二万円に更正する旨の決定及び昭和二四年三月ないし同年一二月分の取引金額を四七〇万円に更正する旨の決定はこれを取消す。訴訟費用は第一、二審とも第一審被告の負担とする。」との判決を、第一審被告指定代理人は「原判決中第一審被告の敗訴部分を取消す。第一審原告の請求を棄却する。訴訟費用は第一、二審とも第一審原告の負担とする。」との判決を求めた。

当事者双方の事実上の主張は、第一審被告において「第一審被告においては管内事業所得者の昭和二三年度分所得金額等の調査を昭和二四年二月頃までに終るべく、昭和二三年一一月までに業者個々の実額調査を行い、各業者の特殊事情を知り、次いで業種一般の実体調査を完了し、最後に同年一二月から戸順調査により個々の業者の店舖を訪れ在庫商品の点検、帳簿の査閲家族従業員の移動聴取等所得額算出に必要な事項を調査したのであつて、第一審原告の店舖の戸順調査に当つた土肥事務官は直税課に三年勤務した経験者で、小間物雑貨を分担専門に調査したのであるが、第一審原告の店舖を戸順調査するまでに受持区域内の業者に特有の事情や実体は前記実額調査や実体調査によつて十分知つていたから、同人は短時間の調査によりよくその実体を見極めることができるのであつて、その調査によつて見積られた第一審原告店舖の昭和二三年一二月二〇日現在の在庫品高(小間物一〇万円、化粧品二〇万円、雑貨四〇万円)は相当に正確なものである。当時物価は騰貴を続けていたので、仮に昭和二三年一二月の右調査額をもつて同年度中の平均在庫高と見るのは不当であるとすれば、日本銀行調査による大正三年七月を一〇〇とする東京での小売の同年度中の平均物価指数によつて換算した前記在庫品額は別表(一)の通りとなり、これを基準として年間回転率及び利益率によつて算出した所得額は別表(二)の通りとなるから、同年度の第一審原告の事業所得は少くとも四三二、一八〇円である。仮に理論生計費による消費面からの第一審原告の昭和二三年度の所得推算が不合理であるとすれば、少くとも総理府統計の示す消費者価格により推計した同年間の一般生計費を基準として算出した別表(三)の合計額一五六、九二六円の生計費を支出していると見るべきである。果しそうだとすれば第一審原告の同年度の消費面から推算される所得額は、右一五六、九二六円と二男実名義による不動産買取代金三〇万円、及び同年度の必要経費に算入されない支出金一一八、三六三円の合計五七五、二八九円である。第一審原告の二男実は昭和二三年当時一七歳、同三男秀夫は昭和二四年当時一六歳でいづれも学生の身分であつて、同原告の主張するような所持金のある筈はなく、又当時未だ入手困難であつた衣類を売却して必要でもない不動産(実名義で買受けた住宅は買受当初から親族に使用させ賃料の定さえしていない)を買入れる理由はない。昭和二三年一月から五月までの第一審原告の売上総額は別表(一)の平均在庫高によつて計算すれば一、〇九二、八七五円となりその仕入高を別表(二)の利益率と同期間の回転率を小間物を一、化粧品及び雑貨を各二として算出すれば、七四五、三六〇円となり、第一審原告のその間の世帯生計費は別表(三)により明かなように四九、二七七円となるから、右売上額から仕入額を差引して得た利益から右生計費を控除すると二九八、二三八円となり、丁度実名義で買入れた不動産の代金三〇万円に見合う額の余剰財源を有していた計算となるのであるから、右不動産は第一審原告の同年度の営業所得から買入れたものと見るのが相当である。原判決中三枚目裏第五行に十万円とあるを四十万円と訂正する。」と述べ、第一審原告訴訟代理人において「右第一審被告の主張事実を否認する。原判決末尾別表その一中昭和二四年度一月分仕入高一三四、一七〇円とあるを七〇、〇八七円と同二月分空白を六九、〇二九円と訂正する。」と述べた他は、原判決の事実摘示の通りであるから、こゝにそれを引用する。(但し原判決中三枚目第一〇行に「衣料費」とあるは「衣料品」の、六枚目裏第三行に「生間」とあるは「年間」の、同第八行に「かまた」とあるは「また」の、各誤記と認められるから後者のように訂正する)

(立証省略)

理由

第一審原告が昭和二三年一月一日から昭和二四年一二月末日までの間肩書住所で小間物、化粧品、雑貨の小売商を営んでいたこと、第一審原告が第一審被告に対し、昭和二三年度及び同二四年度の所得につき第一審原告主張通りの各確定申告を、又昭和二四年三月一日から同年一二月末日までの取引高税の対象となる取引金額を九四五、九九八円とする申告をしたところ、これ等申告に対し第一審被告からそれぞれ第一審原告主張の頃その主張通りの更正決定の通知があつたので、第一審原告は第一審被告を通じて大阪国税局長に対し第一審原告主張の各日審査請求をしたが、末だに同局長は何等の決定をしないことについては、当事者間に争がない。

よつてその更正の正否につき判断するわけであるが、およそ納税義務者の課税物件についての申告が、これを算定するに足る程度に整備され、その記載も整然かつ明確で客観的にその正確度に信がおける帳簿その他の書類に基いてなされ、直接にその申告の正確さを証明するに足る資料のあるような場合は別として、その申告が右のような信をおくに足る資料に基かず、従つてその正確さに疑があり、しかも可能な限りの調査を遂げるも課税物件を算定するに足る直接の資料の得られないような場合には、税務当局者としては諸方面から調査してできるだけの資料を集め、それから認められる間接事実に基き合理的に課税物件を推計して申告を更正しうるものであると解される。けだし、課税物件の算定も所詮事実の認定に他ならないからでありこれは又訴訟上課税物件の算定の当否を判断する基礎事実認定の証拠法則にも適うものである。

そこで第一審原告は前記のような正確さに信のおける書類や帳簿を整備していたであろうか、元来第一審原告のように物品を販売する商人の一定期間の営業上の収益を正確に算定するためには、少くとも、その期首末における商品の在庫高、期間中の仕入高、売上高を明らかにする帳簿や書類を必要とすることは自明であるが、第一審原告の備付けていたと主張する取引高台帳(甲第四、五号証)取引高帳(甲第六号証)取引高印紙購入通帳(甲第一二号証)無題手帳(甲第一三号証)仕入伝票等(甲第一八、第一九号各証)のみでは収益関係を明かにするに必要な資料として足りない(右主張書類帳簿中には昭和二三年度及び昭和二四年度の期首末の在庫品高を明かにする書類が欠けているし、第一審原告がそのような書類を備付けていなかつたことは成立に争のない乙第二号証により認められる)のみならず、甲第四ないし第六号証の帳簿の各日の記載を同第一三号証の該当日の記載と対照するのに同第四、六号証記載金額に同第五号証記載の金額を加算した金額は同第一三号証の記載金額と一致すべきであるのにその間算数上符合しない点多数あり、成立に争のない乙第一号証の五、八、原審証人佐竹長次郎の証言の一部によれば、第一審原告は昭和二四年三月当時帳簿の記載(二四円余)と比較して剰余となる取引高税印紙(一、六〇〇円余)を所持しており、同印紙の使用に不正の点があつたことが認められ、又第一審原告は衣料につき配給統制の行われていた昭和二三、四年当時、衣料配給登録店でなかつたことは自認するところであるにかゝわらず、当時衣料品を正規の手続によらず売買していたことは、原審及び当審での証人佐竹長次郎の証言により認めうるし、同証人の当審での証言により成立を認めうる第一八号証の二の七、同三の一四、同四の三、六、同五の四、九、同六の二九、同七の三、二二、三五、同八の九、一四、同九の一六、三五、一〇の一三、二〇、二九、四一、同一一の一七、二九、同一二の三九、第一九号証の一の六、一六、同二の一、同七の五、一七、同一二の五、一一、一七によれば第一審原告は昭和二三年二月二五日以降昭和二四年一二月一四日にいたる間シヤツ類寝巻靴下マフラー等の衣料を仕入れ、従つてこれをその頃販売したことを推認しうるが、甲第四号証の取引高帳にはそれに該当すると認められる記載がなく、更に取引高税法第三二条によればその対象となる取引の年月日、取引内容、金額、税額、相手方の氏名住所、使用印紙金額等を明かにする帳簿を備える義務があるが、右甲第四号証の帳簿の昭和二三年一二月一日以降の分は取引の相手方の名称住所の記載を全く欠き適法なものということができず、甲第一八、九号の各証(前掲以外の分は当審証人佐竹長次郎の証言により成立を認める)を通覧するのに、第一審原告が昭和二三、四年を通じ衣料の売買をしていたことは前記の通りであるにかゝわらず、又衣料は昭和二三年中よりも配給統制はあつたけれども昭和二四年中の方が一般市場に多く出回つたことは周知の事実であり、現に第一審原告の昭和二五年二月九日当時の在庫品であつたこと後段認定により明かな乙第一四号証の二の品目中にはシヤツ等の多数の衣料が含まれており、従つて第一審原告としても昭和二三年度より昭和二四年度においてより多く衣料の取引をしたものと推認しうるのに、第一審原告が昭和二三、四年度の全仕入の伝票であると主張する右甲第一八、第一九号各証中昭和二四年二月初旬分までの中には前掲甲第一八号証の二の七以下同第一九号証の二の一に見られる多くの衣料品仕入伝票があるのに、その後の分の中には、わずかに前記甲第一九号証の七の五同一〇の一七、同一二の五、一一、一三、一七以外に衣料仕入伝票(小間物に準じて見られる帯上、帯締、紐類は別である)が含まれていないことが明かである。右事実に徴すれば、前掲帳簿はいづれもその記載の正確度に信がおけないし、右仕入伝票の如き昭和二十三、四年度の第一審原告の全仕入に関する伝票を網羅するものとは認め難く、原審及び当審での証人佐竹長次郎の右認定に反する証言は信用できず、他に右認定を左右するに足る資料はない。以上の通りであるから右帳簿や伝票は第一審原告の営業収益や取引高税の対象たる取引高の正確な算定資料とするに足らず、従つて第一審原告は本件係争課税物件認定の正確な資料を整備せず、又その他の方法で税務当局の正確な算定の資料提供に協力していないことは、本件口頭弁論の全趣旨から明白である。よつて第一審被告主張の本件課税物件の推計の当否につき検討する。

先づ昭和二三年度の所得金額について見る。

仮に土肥事務官が小間物化粧品、雑貨類の調査を分担し、専門にそれに従事し、かつ、第一審被告主張のような一般的基礎調査をしていたとしても、第一審被告の昭和二三年一二月二〇日現在の第一審原告店舖の在庫商品高の認定及びそれを基準として算出された所得額が正確といえないこと、同原告の属する世帯の昭和二三年度における大阪商工会議所調査の理論生計費を基準として生計費ならびに二男実名義で買入れられた不動産代金から見る所得算定の方法が必ずしも合理的であるといえない理由は、原判決の同点(イ)(ロ)に説示するところと同旨であるから、こゝにそれを引用する。(但し原判決一五枚目表第四行に経消事情とあるを経済事情と訂正する)第一審被告は日本銀行調査による同年度の平均物価指数に従い換算した在庫高から合理的所得を算定しようと試みるが、その算定の基礎とする昭和二三年一二月二〇日現在の土肥米之事務官の見積在庫品高が不正確であること前説示の通りである以上、この方法も又採用に価しないこと自明である。又第一審被告は当審において第一審原告方世帯の生計費を総理府統計の示す消費者価格より推計した一般生活費を基準として算定し、これと前記実名義の不動産買受代金及び必要経費に算入されない支出金とを合計した五七五、二八九円を同年度の所得と推計しようとするが、仮にそれが正しいとしてもかくて算出された第一審原告方世帯の生計費は一五六、九二六円に過ぎず、実名義の不動産取得代金が、すべて昭和二三年度の第一審原告の営業所得から、支出されたものとは、それが同年度中に支払われた事実のみからは推認できないことは前段に引用した原判決の理由に明かな通りであり、第一審被告が当審において主張する右不動産取得代金に見合う二三年度所得余剰の算式の如きは、前段に述べた通り正確と認められない昭和二三年一二月二〇日現在の在庫高見積額を出発点とする点において採り難く、他に右事実を認むべき資料はない。又第一審被告の主張する必要経費に算入されない支出金は認むべき何等の証拠がないから、結局第一審原告は営業により昭和二三年度において申告額一九七、九〇〇円以上の所得を得た事実の立証はないに帰する。

次に昭和二四年度の所得金額について見る。

第一審被告は西成税務署の直税係員の調査によれば、昭和二五年二月九日現在の第一審原告店舖の在庫商品額は小間物三七八、七五七円、化粧品二九五、五二五円、雑貨七六五、二六九円であつたと主張し、公務員の作成名義である乙第一四号証の一、二、原審及び当審証人増田善太郎の証言の一部、原審証人大浦董章、毛利政男の証言は右を裏書するようであるけれども、当時西成税務署の係員であつた増田善太郎の認印として押されたと認むべき右乙第一四号証の一の係長欄の印影は全く同人の関知しないところであり、同人の当時公務上使用した認印の印影とも異ることは原審及び当審での証人増田善太郎の証言により明かなところであり、乙第一四号証の二中に納税義務者として第一審原告を表しているが、同税務署は右調査日当時は納税義務者を第一審原告の夫佐竹長次郎と認めており後日にいたり第一審原告と改めたことは成立に争のない甲第八、九号証、原審及び当審証人佐竹長次郎の証言により明かであるから前掲証人等の証言は信用し難く、乙第一四号証の一、二は右調査日当日にそれに記載された在庫品全部の調査が行われた事実を認める資料とはならない。右事実及び第一審被告が若し乙第一四号証の二に記載の調査日に同記載の在庫品価額と商品回転率とを知つていたとすれば、特別の事情のない限り、その後に行われた前記取引高の更正額を右在庫高及び回転率によつて算出しうべき六、二三八、二二九円とすべき筈であつたのに、前認定の通り四七〇万円と更正している事実に、原審及び当審証人佐竹長次郎の証言ならびに原審及び当審証人増田善太郎原審証人大浦董章の証言の一部を綜合して考察すれば、西成税務署員はなるほど同年二月九日にも第一審原告店舖在庫品の一部の調査はしたが、同日同税務署の徴税係員が同在庫品を差押え保管上一部を持帰つたところから同日には全部の調査をせず、同年五、六月頃までに右持帰つた際商品に付けてあつた符牒によつて判明した売価に従い在庫品全部につき正確な評価をなし、その完了後に前記乙第一四証の一、二を日附を遡らせて作成したものであることを推認できる。右認定に反する原審証人大浦董章、毛利政男及び土肥米之の各証言部分は真相を伝えるものとは受取れないし、他に右認定を覆えして第一審被告の主張を認めるに足る確証はない。しかし右在庫品の評価は西成税務署が差押商品を引揚げた昭和二五年二月九日当時第一審原告の付けていた符牒から判明した売価によつてなされたものであること右認定の通りである以上、右乙第一四号証の二記載の在庫品評価は同日現在の第一審原告店舖の在庫品価額(小売値)であり、その金額が第一審被告主張の小間物、化粧品及び雑貨の各金額となることは算数上明白である。そこでこの在庫品評価額を基準とする第一審原告店舖の昭和二四年度の取引額、更にそれによる所得額算定の当否につき検討する。第一審原告のように比較的小規模な小間物化粧品雑貨の小売商においては、経営規模、営業方針、経済事情の激変等特別の事情のない限り、年間を通じ、中元や歳暮の売出のための仕入時のような特殊時期を除けば、手持商品高にさしたる変動はないものと見るべきところ、第一審原告が前記在庫品調査の対象となつた二月初旬特に多額の商品を手持していたという特殊事情についてはこれを認むべき資料はなく、むしろこの時期は一般的に見れば、年末売出の後で仕入を手控えるのが普通であるから手持は減少勝であるというべく、又調査された在庫品中衣料以外の商品は昭和二四年以前から統制外品であり、(昭和二三年八月以降衣料品、食料品以外の日常消費物資は大幅に統制が外された)衣料品についても第一審原告の付けた符牒の売価は闇値であることは前認定上自ら明かであるところ、昭和二四年に入つて闇物資の価格は騰勢が衰え、同年六月を頂点として同年後半から翌年二月までは少くともむしろ下降傾向を辿り、又統制外品の一般物価はその間やゝ上昇を示してはいるものゝその騰貴率は約一割に過ぎないことは物価指数から観取しうるところである。これ等の事情に徴すれば、前記在庫商品高を昭和二四年度中の第一審原告店舖の年間平均在庫商品高と見てさして不都合はない。第一審原告は衣料統制は昭和二五年二月頃には殆んど外されていたから、それのあつた昭和二四年中に比し手持が多かつたと主張するが、衣料統制は昭和二四年一一月以降徐々に緩和されたけれども、大幅にそれが外されたのは昭和二五年六月一四日以降のことで全面的廃止は昭和二六年四月二六日のことであるから、昭和二四年中に比し昭和二五年二月頃に衣料品の入手が急に容易になつたとは見られない。(もつとも、それ以前から衣料品の出回が漸次豊になつて来たことは前記の通りであるけれども、その事情は後段で年間総売上高を認定する際の減分中に考量する)そして当審証人柴田広之、原審証人種子島時隆、萩原政治郎、土肥米之、石黒富久の各証言と成立に争のない乙第八、九号証を綜合して考察すれば、昭和二四年当時の第一審原告の店舖と同程度の営業条件を備えた店舖の商品回転率は、小間物について二回半、衣料については六回(第一審被告は七回と主張するが闇衣料については上記の通り認定するのが相当である)化粧品については四回であり、売上高に対する純利益率は小間物、化粧品がいずれも二割、衣料雑貨が少くとも一割五分であつたことが認められるから、第一審原告も同様の回転率及び利益率をもつて同年度の営業をしたものと推認すべきである。当審での鑑定人稲垣清昭の鑑定の結果をもつては右認定を左右するに足りない。第一審原告は在庫品中にはいわゆる年期ものが多量にあると主張するが、商品販売業においてかかる品を生じ、これを安価に販売するのは通常のことであるから、右回転率や利益率認定の資料となつた前掲証言等はそれを考慮に入れた上でなされたものと見るのが相当でああるから、右認定は第一審原告の右主張を参酌するも不当と云えない。よつて右回転率及び利益率によつて前記在庫品高を基準として第一審原告店舖の昭和二四年度中の売上高及び純利益額を算出すれば、小間物の売上高は九四六、八九二円、同利益額は一八九、三七八円(円以下切捨)化粧品の売上高は一、一八二、一〇〇円、同利益額は二三六、四二〇円、衣料品雑貨の売上高は四、五九一、六一四円、同利益額は六八八、七四二円、年間合計売上高は六、七二〇、六〇六円、同利益額は一、一一四、五四〇円となるところ、これに昭和二四年初頭以降昭和二五年二月頃にかけて前記一般物価の変動、衣料品出回増による第一審原告の在庫品調査の対象時の同品の手持高の増加見込等の事情を考慮に入れても、少くとも同年度の第一審原告の総取引高は五六四万円、純利益額は七二万円を下らないと認めても決して過大ではないと思料される。

次に昭和二四年三月一日ないし同年一二月末日までの取引高税の対象たる取引額につき見るのに、前記認定の事実に基き右一〇ケ月分の取引高を割出した四七〇万円をもつて、同期間の取引高と認定して不合理でないといえる。

しかして第一審原告に対する昭和二三年度の所得税算定上の基礎となるべき同居親族佐竹実の同年度中の給与所得が一四、六七二円七〇銭となる点についての理由は原判決理由中のこの点に関する部分と全く同旨であるから、それをここに引用する(尤もこの部分については第一審原告は不服を申立てる趣旨でないことは、その控訴の趣旨から見て明かである)。

右次第であるから、原判決が、第一審原告の昭和二三年度の事業所得を一九、七九〇円、同居親族佐竹実の給与所得を一四、六七二円七〇銭として算定される税額を超える部分の第一審被告の前記更正決定を取消し、その他の第一審原告の請求を棄却したのは正当であつて、本件控訴はいずれも理由がないから、これを棄却し、控訴費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用し、主文の通り判決する。

(裁判官 大野美稲 石井末一 喜多勝)

(別表省略)

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